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自由党 (日本 1950-1955) : ウィキペディア日本語版
自由党 (日本 1950-1955)[じゆうとう]

自由党(じゆうとう)は、日本にかつて存在した政党。党首・吉田茂の名前から吉田自由党と呼ばれることもある。
== 概要 ==
1950年(昭和25年)、前年の総選挙で第1党となった民主自由党は、分裂した民主党の合同支持派と合流して自由党を結成した。
総理総裁である吉田茂と自由党の元で日本の復興とサンフランシスコ講和条約日米安全保障条約(旧条約)の締結が進められた。公職追放が解除されて鳩山一郎らが復帰すると、日本社会党日本共産党などの左翼勢力の台頭に対抗するため次第に逆コースと呼ばれる保守的な路線に政策転換した。
その後、バカヤロー解散のきっかけに見られるような吉田の「ワンマン」とも言われた政治手法への不満、吉田の総裁続投かあるいは鳩山の総裁復帰かという人事問題、あるいは戦前からの政治家と戦後に登場した政治家との対立などから次第に党内に亀裂が入るようになり(分党派自由党日本自由党の結成)、最終的に鳩山は三木武吉河野一郎岸信介らとともに離党して日本民主党を結成した。
1954年(昭和29年)、吉田退陣後に緒方竹虎が総裁となったが、首班指名選挙で日本民主党を率いる鳩山に敗れた。1955年(昭和30年)、日本民主党と合同(保守合同)して自由民主党を結党した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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